what's halmens?


ハルメンズとは…?
ハルメンズ

左から、上野耕路/石原智広/佐伯健三/比賀江隆男/泉水敏郎
1979年夏、東京のニューウエイヴシーンで活躍していた8 1/2("ハッカニブンノイチ"と読む)のメンバーだった上野と泉水が、以前より親交の深かった少年ホームランズ(佐伯・比賀江・石原が在籍)のデモテープ録音に参加した事を契機として、ハルメンズを結成する(ちなみに、ハルメンズという名称に意味は無く、童話「ハーメルンの笛吹き」やカルメンとは関係無いとの事)。

その後、ムーンライダーズの鈴木慶一氏ディレクションによる「ハルメンズの近代体操」(1980年10月)「ハルメンズの20世紀」(1981年7月)という二枚のアルバムをビクターよりリリース。

しかし「近代体操」発売前後に泉水・上野が実質上脱退し、バンドとしての実体が無くなってしまうという危機に立たされ、「20世紀」発売後は活動はほとんど行われてなかったが、区切りをつける為に1982年12月に行われたイベント「ハルメンズの伝説」をもって解散した。

活動時は正当な評価が得られなかったが、解散後、ハルメンズのアルバムに参加していた戸川純が自身のアルバムやライヴにおいてハルメンズの曲を取り上げた事や、メンバー各人の活躍などにより、一躍注目を浴びる存在となった。



メンバープロフィール

佐伯健三
佐伯健三 1958年7月28日生まれ。Vo.担当。

高校一年生の時に少年ホームランズを結成し、幾度かのメンバーチェンジを経た後、ハルメンズへと発展。

ハルメンズの活動が休止状態だった1982年に窪田晴男と出会い、パール兄弟結成を決意。その後、1986年には佐伯・窪田・バカボン鈴木・松永俊弥というメンバーでメジャーデビューを果たす。

現在は文筆業・作詞家・ミュージシャン・プロデュース業など、マルチな才能を発揮している。

LINK :
saekingdom.com


比賀江隆男
比賀江隆男 1959年2月23日生まれ。G.担当。佐伯とは幼なじみいう間柄。

1978年、少年ホームランズに加入。

ハルメンズ解散後は1983年に戸川純のバックバンド、ヤプーズに加入(後に、"戸川純&ヤプーズ"という表記から"ヤプーズ"に改名)。1984年には鈴木慶一が主宰する水族館レーベルのオムニバス第二弾「陽気な若き博物館員たち」にソロ曲「恋のゆくえ」(鈴木博文プロデュース)を収録。

1988年リリースのアルバム「大天使のように」発表後にヤプーズを脱退。その後は音楽活動からは身を引かれている。


石原智広
石原智広 B.担当。

1979年に少年ホームランズに加入。

ハルメンズ解散後は教職に就かれたそうである。が、1984年に発売された戸川純のアルバム「玉姫様」では、以前から深い交流があった戸川の依頼とあってか三曲(どれもハルメンズの楽曲)に渡ってベースを演奏している。


上野耕路
上野耕路 1960年2月1日生まれ。Key.担当。佐伯とは同じ高校の一年後輩だった。

1978年に8 1/2に加入。同時期、少年ホームランズの活動をサポート。そして、ハルメンズ結成前後に泉水と共に8 1/2を脱退している。

1980年、当時8 1/2の一ファンだった戸川純とイントナルモーリを結成(後に太田蛍一が加入し、ゲルニカへと発展)。その直後にハルメンズを実質上脱退している。

その後、現代音楽寄りのソロ作品や映画音楽など多岐に渡る活動を展開。近年は8 1/2時代の盟友、久保田真吾とのユニット"捏造と贋作"や上野耕路アンサンブル等でも活躍している。

LINK :
N2 index page
Routes of a Journey - Koji Ueno's page


泉水敏郎
泉水敏郎 Dr.担当。

学生時代より"WINK"というロックバンドで活動していたが、音楽性の変化から1978年に同バンドは"8 1/2"と改名する。

その後、ハルメンズ結成前後に8 1/2からは脱退するも、「近代体操」発表後にハルメンズからも実質上脱退(但し、「20世紀」のレコーディングには参加)。

脱退後はヒカシュー、東京ブラボー(サポート)、ヤプーズ、タイツ、マッスルビート、HERE IS EDEN等に参加。1984年にはソロミニアルバム「LIFE STYLE」をリリース。

90年代半ばまでは作詞家としても活動していた。





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